最終更新日時 2019/02/27

日本から新たに世界遺産に登録される予定の、「明治日本の産業革命遺産」。いったいどんな遺産なのか気になりますよね。実はこの遺産、これまでの「富士山」や「厳島神社」とは少し違い、なんと8つの県と11の市、そして23もの資産で構成されているのです。
いずれも「明治時代における日本の近代化を支えたもの」で、北は東北から南は九州まで、エリアはさまざま。正式な世界遺産登録については、2015年6月28日から7月8日までドイツで開催される「世界遺産委員会」で決まる可能性が高いのだとか。世界遺産がふえるのが楽しみですね。

そこで今回は、今から押さえておきたい資産の全23ヶ所を一挙にご紹介します。「明治日本の産業革命遺産」へ、ひとあし先に訪れてみませんか?

エリア1.萩(山口県/5資産)

萩反射炉▲萩反射炉(萩市)/出典:TT mk2

松下村塾▲松下村塾(萩市)/出典:Hilde~commonswiki

(1)萩反射炉(山口県萩市、1856年)
(2)恵美須ヶ鼻造船所跡(萩市、1856年)
(3)大板山たたら製鉄遺跡(萩市、1855年)
(4)萩城下町(萩市、江戸時代)
(5)松下村塾(萩市、1857年)

時は幕末、1850年代。欧米列強によるアジア進出に危機感を持った西南雄藩によって、独自の製鉄技術が導入され始めた時代。萩(長州藩)では、西洋について学ぶために「西洋学所」などの学問所が設けられるとともに、鉄の精錬に使う「反射炉」の建設が進められるようになりました(萩反射炉)。さらに恵美須ヶ鼻造船所跡では、大板山たたら製鉄遺跡で出来上がった版金を用いて2隻の洋式軍艦が造られました。

萩城下街は、西南雄藩のひとつである萩(長州)藩の政治的・経済的・文化的・軍事的な拠点だった場所。1604年以降に毛利輝元が城を整備した際に並行して整備された、風情の残る街並みが続きます。松下村塾は、言わずと知れた名所。吉田松陰の講義を聞き、議論し、多くの志士が生まれました。

エリア2.鹿児島(鹿児島県/3資産)

集成館▲集成館(鹿児島市)/出典:Yanajin33

関吉の疎水溝▲関吉の疎水溝/出典:Indiana jo

(1)旧集成館(鹿児島県鹿児島市、1854年)
     旧集成館反射炉跡(1851年)
     旧集成館機械工場(1865年)
     旧鹿児島紡績所技師館(1867年)
(2)寺山炭窯跡(鹿児島市、1852年)
(3)関吉の疎水溝(鹿児島市、1858年)

1851年、薩摩藩主となった島津斉彬がはじめたのが、一連の「集成館事業」でした。「集成館事業」とは、当時、列強による日本の植民地化を危惧していた島津斉彬が、日本の産業発展を目指して進行した一台プロジェクト。特に、製鉄・造船・紡績といった産業に力を入れ、日本の近代工業化に大きな効果を発揮するものだったといいます。

寺山炭窯跡は集成館事業で大量に必要になる木炭燃料を。そして、関吉の疎水溝は、動力源になる水車に水を供給するために開発されたものです。

エリア3.韮山(静岡県/1資産)

韮山反射炉▲韮山反射炉(伊豆の国市)/出典:relux Magazine編集部

(1)韮山反射炉(静岡県伊豆の国市、1857年)

日本で唯一、現存する実用反射炉が韮山反射炉です。実は、先に出てきた山口県の萩反射炉は試験用で、実際に使われていなかったのです。海防強化が急がれた1850年代に大砲の製造のために建てられ、1922年に国の史跡に登録されました。その後、稼働が終了すると反射炉一帯は荒れ果てた様子でしたが、史跡としての保存の機運が高まった1908年には陸軍省による補修工事が行われました。それ以降、1957年、1985年から1989年に大規模な保存修理が行われ、今にいたります。

この反射炉が稼働していた当時、働いていた工夫たちは衣服を身につてけていなかったといいます。反射炉が熱いことも理由なのですが、一番の理由は「やけどの防止」。衣服に火の粉が飛び、燃え上がったり皮膚に張り付いたりするのを避けるためだったのですね。

エリア4.釜石(岩手県/1資産)

橋野高炉橋▲橋野高炉橋(釜石市)/出典:のりまき

(1)橋野鉄鉱山・高炉跡(岩手県釜石市、1858年)

日本古来の製鉄法「たたら製鉄」で作られた大砲では、列強に打ち勝つことはできない――。そんな状況の中で1858年に誕生したのが、日本最古の洋式高炉として国の史跡に登録されている橋野鉄鉱山・高炉です。
建設に携わったのは、盛岡藩士・大島高任。彼は、前年の1857年に日本で初めて洋式の製鉄法の実践に成功していたのです。その後、大島高任は明治政府においても技術者として高く評価され、「近代製鉄の父」と称されています。

エリア5.佐賀(佐賀県/1資産)

三重津海軍所跡▲三重津海軍所跡(佐賀市)/出典:Pekachu

(1)三重津海軍所跡(佐賀県佐賀市、1858年)

三重津海軍所跡は、蒸気船をメインにした造船・修理のために1858に誕生しました。造船所でありながら士官や水夫への教育の面でも高い評価を受けており、1865年には日本で初めての実用的な蒸気船である「凌風丸」を建造しました。
2009年から2014年まで敷地内の発掘調査が行われ、金属加工関連遺構や日本最古の乾船渠跡(ドライドック)などが発見されています。船好きの方にはたまらない施設かもしれません。

エリア6.長崎(長崎県/8資産)

旧グラバー住宅▲旧グラバー住宅(長崎市)/出典:Fg2

軍艦島▲端島(軍艦島/長崎市)/出典:kntrty

(1)小菅修船場跡(長崎県長崎市、1869年)
(2)三菱長崎造船所 第三船渠(長崎市、1905年)
(3)長崎造船所 ジャイアント・カンチレバークレーン(長崎市、1909年)
(4)長崎造船所 旧木型場(長崎市、1898年)
(5)長崎造船所 占勝閣(長崎市、1904年)
(6)高島炭坑(長崎市、1869年)
(7)端島炭坑(長崎市、1890年)
(8)旧グラバー住宅(長崎市、1863年)

旧グラバー住宅端島炭鉱(軍艦島)など、比較的有名な資産の集まる長崎県。鎖国時代には数少ない西洋に開かれた窓口として栄え、同時に多くの知識・技術を取り入れていた場所でもありました。
そんな長崎で特に発達したのが、造船技術です。1855年、当時の海軍伝習所総取締・永井尚志は、オランダから寄贈された艦船をきっかけにオランダ側に造船所の建設を依頼します。造船所には蒸気機関を動力とする機械も多く取り入れられ、長崎県における産業の近代化を後押ししました。

1863年に建設された旧グラバー住宅は、現存する木造洋風建築としては最古のもの。西洋技術を日本に伝えた起業家トーマス・ブレーク・グラバー(1838-1911)が、住居として使用していました。端島炭鉱(軍艦島)は、長崎港から南西約18kmの海上に浮かぶ、6.5ヘクタールほどの小さな小さな島。主に八幡製鉄所に供給される石炭が採掘されていました。最盛期には5千人超が「軍艦島」の呼び名の由来になった集合住宅などに住んでいましたが、1974年には炭鉱が閉山。それ以後は、無人島となりました。現在は、一部の区域にのみ上陸することができます。

エリア7.三池(福岡県・熊本県/2資産)

三井三池炭鉱(万田坑)▲三井三池炭鉱・万田坑(大牟田市)/出典:MGA73bot2

三角西港▲三角西港(宇城市)/出典:MK Products

(1)三池炭鉱、三池港(福岡県大牟田市・熊本県荒尾市)
     三池炭鉱 宮原坑(大牟田市、1898年)
     三池炭鉱 万田坑(大牟田市・荒尾市、1902年)
     三池炭鉱 専用鉄道敷跡(大牟田市・荒尾市、1891年)
     三池港(大牟田市、1908年)
(2)三角西(旧)港(熊本県宇城市、1887年)

福岡・熊本エリアには、三池炭鉱を支えた資産がのこされています。たとえば三池炭鉱 専用鉄道敷跡は、三池炭鉱で採掘された石炭や炭鉱で使用する資材の運搬をはじめ、工場の製品・原材料を輸送するための専用鉄道でした。当初は鉄道馬車として始まり、1905〜1923年にかけて三池港までの延伸や全線電化を実施。まさに、三池炭鉱にはなくてはならない鉄道となりました。

もうひとつ注目したいのが、三池港です。干満の差が激しい有明海において課題となっていたのが、干潮時には数kmにわたって現れて大型船の往来を妨げていた干潟でした。三池港は、それを解消するために整備・築港されました。整備を指揮したのは、のちに三井財閥総帥となる團琢磨。彼の知見が、現在も稼働する大港湾のはじまりとなったのです。

エリア8.八幡(福岡県)

八幡製鐵所▲官営八幡製鐵所(北九州市)/出典:663highland

(1)官営八幡製鐵所(福岡県北九州市)
     八幡製鐵所 旧本事務所(1899年)
     八幡製鐵所 修繕工場(1900年)
     八幡製鐵所 旧鍛冶工場(1900年)
(2)遠賀川水源地ポンプ室(福岡県中間市、1910年)

歴史の授業で一度は耳にしたことのある、官営八幡製鐵所。ここもまた、遺産群の重要な資産のひとつです。1890年代当時、日本最大の石炭採掘量を誇った筑豊炭田に隣接していた八幡村。この地に製鐵所の建設が決まったのは、1897年のことでした。釜石市の高炉で製鉄を成功させた盛岡藩士・大島高任の息子が技監に任命され、ドイツ人技師らの指導のもとで、1901年に4年の歳月を経て官営八幡製鐵所が誕生しました。
資金難で休業に追い込まれる時期もあったものの、その後は日本の産業の重工業化を支える国内随一の製鐵所となったのです。その実績だけでなく、旧本事務所の美しいレンガ造りの外観も必見。歴史を今に伝える貴重な建物です。

もうひとつの資産は、遠賀川水源地ポンプ室。遠賀川から汲み上げた水は、主に鉄の冷却用として使用され、八幡製鐵所を支える取水施設として活躍しました。ポンプ室とは思えないようなレンガ造りで、1890〜1900年代の製鉄業の興隆を体現しています。

「明治日本の産業革命遺産」23ヶ所まとめ

いかがでしたか? 「明治日本の産業革命遺産」と言われてよくわからなくても、ひとつひとつを見ていくと、「知ってる!」「聞いたことある!」という場所もいくつかあったのではないでしょうか。今からチェックして、是非ひとあし先に足を運んでみてください。

TOP画像出典:kntrty

※情報は、2015年5月現在のものです。

特集

2019/06/21泊まる、森に抱かれた大人のためのヴィラ【伊豆高原】ー宿泊体験記vol.5ー ABBA RESORTS IZU -坐漁荘

2019/06/18泊まる、歴史と異国の風が薫る宿【有馬】ー宿泊体験記vol.4ー 有馬山叢 御所別墅

人気記事